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天眞正傅香取神道流兵法は、飯篠長威斉家直公、通称山城守(後伊賀守)を流祖として、後花園天皇の御代より今日に至るまで、千葉県香取の地に伝承している兵法である。
飯篠家は、代々下総の郷士にして、家直公は、後亀山天皇元中四年(紀元二千四十七年)に、香取郡飯篠村に出生せられた。今を去ること六百八十年前である。 香取、鹿嶋の地は、兵法の家、武術の家と云われる家柄があって、代々武芸を伝えていた。(*関東七流と云われる) 公は、幼少の頃より刀槍の術を好んで修行され、又、兵法、軍学を学び、壮年になってからは、幾度の合戦に赴いたが一度として破れた事無く、武名を轟かしていた。 飯篠の郷に居城を構えていたが、主家たる千葉家が断絶したのを機に、無禄となり、剣のみに生かんとし、武神・経津主大神を祀る香取神宮に参籠して修行に精進せんと決意された。 六十余歳にして香取の地に居を構えつ、連日斎戒沐浴、粉骨の修行を経て、武術の錬磨の末、竟に大神の加護により、神人合一の妙境を真得し、天下無双の神技を悟り、以てその武藝を多くの子弟に教導するに至る。 経津主大神(香取大神)の正伝なるをもって、天眞正傅香取神道流と称す。 |
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参考:天眞正傅香取神道流武道教範
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| 戦国時代の流派であり、戦場で鎧を着用した技が多く、斬突の場所は甲冑の弱点、例えば、首、脇、小手の裏、腰の直ぐ上、内もも等を打つ。 稽古中武器と武器が激しく当たっているが(実際は斬っている)、それは他から形を盗まれないためである。また一本ごとの形が非常に長く作られている。 |
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| 戦場の剣術を称して介者剣術と云い、対して、道場の剣術を称して素肌剣術と云う。この神道流は介者剣術のまま、残っている武道であり、また、剣道と違い防具で守られていないので(素面、素小手)、木刀が当たれば怪我をするし、当り所が悪ければ死に至る。 甲冑を纏えば、非常に重く動きにくいので、自然と腰を落した構えになり、身体、呼吸を練るために形を長くつくってある。一つ一つはそれ自体が型であり、秘伝である。 甲冑を纏い兜を冠っている事を考えると、剣を上段に取る場合、後ろまで振り冠る事は出来ないので、剣を巻いて斬り込むことで、素早く強く繰り出すなど、独特の構えや技が出来ている。 |
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参考:日本古武道演武大会パンフレット
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